時に人は間違える。
赤もみじのことは、ファンの人からしたら「は?なに?」と言われるくらい全然知らない。
面白い漫才をやっている、チャンスの時間で跳ねてる、『三四郎のオールナイトニッポンゼロ』であの阿諏訪泰義に料理勝負で勝った(?)村田さんがいる。めちゃくちゃバチバチな漫才をする。
そういう人だと認識している。
ある日突然、そんな彼らが「活動休止する」という話を聞いた。
『お笑いの、いや、なにかのファンなら一度は聴いておけ』と言われた、あのラジオが配信された。
赤もみじの?ラジオ?何が起きてる?
そこまでファンでもない、言うたら興味がない───熱意をもって彼らを追いかけているような身分でもないが、聴いてしまっていいのだろうか?
一瞬迷った。
が、SNSに溢れる阿鼻叫喚を目にして、これは自分も音源を確認しなければならないと覚悟を決めた。
これを見てくださっている方はきっと聴いたと思うけれど。
……まあ、うん、地獄だった。
あの村田が、普段ならきっとそんな姿を見せるはずがない『男気』という言葉が似合いそうな男が、相方に詰め寄られていた。
とにかく理論で詰められ、窮して、臆していた。
さて、わたしは、その時詰めている相方・阪田ベーカリーのことはさらによく知らない。
けれど、その時の音源では「とにかく切羽詰まっている人」「相方に立ち直ってほしい人」「傷付きすぎて、困ってしまった人」と言う印象があった。
と言うか阪田さんは勿論ある程度腹くくってるし、言ってないこと言えないことで気持ちが乗ったからわりと怖くなってる
……村田さんの声色があまりに軽すぎる気がするんだけども、本当に正常じゃないのかもしれない、あるいはそこでも手を抜こうとしたのかもしれない、わかんない(音源聴いた後の自分のツイッター)
この時村田さんは「はぐらかそうとした」のではなく、「客前でこんなんになっちゃうのいやだな、早く終わらないかな」と思っていたようだし、阪田さんもそこまでやるつもりなかったような節があったみたいだけど、もう全部後の祭り。
阪田さんはnoteも後日更新して、自分の言いたいことについての誤解を解くと同時に、理由を細かく書いている。
ラジオとnoteで、それはしっかり書かれている。
一番辛かったのは「嘘をつかれた」ことと、「サボった」ことの両方が一気に襲いかかったこと。
ネタを書かなくなってしまった相方のために、自分がネタを書いてしばらく踏ん張っていたこと。
本当は村田さんに引っ張りあげてほしいけど、それをしてくれないこと。
漫才はやりたいけど、一見して面白くない漫才を書いてきてしまう相方がいること。
やると言って、結局ネタを書いてこなかったり、書いたと思ったら面白くないこと。
自分のネタをやってもらっても、手を抜いて漫才をこなしたりすること。
楽しく漫才をやれないなら、赤もみじを続ける理由も分からないし、それなら解散したいと思っていること。
その他もろもろ。
悲痛だった。
自分の全てを語り、安全圏からボールを投げるだけの村田を叱咤し、最終的に「結局どうするのか」と言う核心的な2択すら迫った。
『あの時』宮迫博之が間違えた、2択を。
それはひつじねいりの神セーブによって止められたんだけども。サンキューひつじ。
深夜四時のラジオブース、火付け石を手に持ってマイクのぼわぼわしたスポンジのところに火をつけようとしながら、小宮の体を労ると言いながら結局泥水しか作らなかった阿諏訪泰義は、放火を止めようとする村田へ吐き捨てるように言った。
「村田、もう遅ぇよ」
まさにそんな感じだった。どう考えてもこのラジオの時点では村田さんが悪かったはずだ。
て言うか阿諏訪さんで思い出したけど、うしろs(今回の本題からはずれるのでカット)
ここで終われてりゃあ、まだ違った。
少なくともわたしの心証は全然違った。
阪田さんは健気に天才の再起を願う後輩、それに甘えてだらだらしている村田さん、という感じになっていたはずだ。
ひつじねいりの松村さんは言っていた。
「村田のやろうとしていることを全部否定すな」
それが届くことは、決してなかったわけだが。
さて、そんなこんなで、YouTubeに『赤もみじの道程』という動画がアップされた。
最初は見てはいけないような気がしてスルーして、それから覚悟を決めたわけだけれど、正直、少し見るだけで気分が悪くなるような動画だった。
けれども、それでも、彼らの行く末がどうしても気になって、あるいはいつかのうしろシティに思ったような鬱屈したなにかが解消されるのかと思って、お笑いを好きだと言い続けるなら見なければと思って、
その生きざまですらコンテンツにしなければいけない消費社会の現代を呪いながら、見た。
大袈裟かもしれないけど、見た。
ご覧になった方も多いと思うので、この動画の内容をざっくりまとめていこう。
#1
とある日、作家が阪田に呼び出される。
阪田はカメラに対し、「村田さんの気持ちが分からない」と切り出し、そこから延々と悪い部分を挙げていく。
#2
周りから見た村田とは?
阪田が前回の功労者・ひつじねいりや、解散を一度は止めたストレッチーズらを招き、様々な話を聞いていく。
「村田、逃げろ」
#3
さらに複数人に芸人に話を聞いていく。
「変わらない村田を愛するんだよ」
そして証言パートから数日後、作家が村田を呼び出して、隠し撮りしながらトーク。
隠し撮りの理由は、カメラのあるところでは本音を言わなさそうだから。
#4
色々考えて気持ちが固まった村田が阪田を呼び出し、解散を切り出す。
俺は変われない。
それを聞いて阪田も話を持ち帰ると答える。
後日、村田に『作家と阪田の通話の内容』を聴かせるのだが……。
全体を通して、最初に思ったことは「なんだこれ?」だった。
誰が得をする企画なのか。
ドキュメンタリーとして銘打っていいのか。
人生の大事な瞬間をコンテンツにしていいのか。
ていうか、序盤に関しては阪田さんがひたすら文句を言っているだけだし、3の前半位までそれがずーっと続くのはどうなのか。
製作をワンオペ担当した作家さんは「あくまで中立」と言ったが、果たして本当にそうか。少なくとも、阪田さんが村田さんを責めるクリティカルなセリフを赤文字にしているのは、どう見ても中立ではない。
中立公平なのならば、せめてそれぞれのパートを交互に流すとか、もっと芯に迫ったものにするとか、阪田さんに対しても隠し撮りを敢行するとか(※これは阪田さんから作家を誘っている以上難しいけれど)、もっと色んなことが考えられたはずだ。
もっと村田さんを尊重するセリフを強調してもよかったし、なんならひつじねいりの序盤の「もう解散しろ」「村田、逃げろ」とかを編集したりして『ギリギリ笑えるエンタメ』に切り替えることだってまだできたはずだ。
しなかった。
しようともしなかった。
むしろ自らは正義だと思っているのか、一連の動画の異常性には最後まで気付けていないようだった。
結論、
赤もみじがただ、つまらんドキュメンタリーもどきで消費されたようにしか感じない。
そして驚くのが(本当に自分でも驚いたのだが)、
#1の時点で、「あれ?ひょっとしてこれ、村田さんが100%悪いわけじゃないんじゃないか?」と感じてしまったこと。
というのも、阪田さんはラジオからずっと「村田さんがおもんないネタを書いてくる」と言うような趣旨のことを言っている。
のだが、なんかここがすごく違和感があった。
村田さんが書いてきたネタに対して「これはどう面白いの?」と聞き、「これこれこうだから、面白くない。こうした方がいい」と阪田さんが返しているらしい。そして、言われた村田さんはそこで言われて初めて「ああそっか……」と気付くようだ。
そこで変だな、と思ってなきゃダメだった。
理詰めで、理論が欲しい阪田さんと。
自分の感覚を大切にする村田さんと。
そりゃ、合うわけがない。
当たり前だけど、タイプが違う。
最初阪田さんは、「村田さんがサボるから、そしてやるって言ってやらないから」と言っていたけれど、サボるようになった原因については少なくとも彼だけが悪いわけではないように思えた。
そりゃそうなのだ。
ある日相方から「赤もみじっぽいネタをこなそうとしている」という指摘をされる。でも、そんなこと考えたこともないから、そうなのかもしれないとうなずいてしまう。
自分がいくつもネタを持っていっても、試そうかとかなんとかじゃなくて、「面白くない」と言われる。理由は教えてもらえるし、次に活かすためのアドバイスもくれるけれど、その理由は『理屈』だから自分には理解のできるものではない。
その『理屈』に合わせて合わせて、と努力しようとしてもすぐにはできない。言語化できるような理屈は自分の中には全くないし、感覚、ニュアンスで調整しているからだ。
だからやろうと思っても筆が全然乗らないし、やったとして『理屈』には沿っていないので「手を抜いた」「サボった」と思われる。そうして叱咤されて、しまいには「じゃあ代わりに僕が書きましょうか」等と言われる。
けれど今まで自分が書いたやつをやっていたし、何となく気が向かないのも事実。手を抜いてるつもりはないが(ここは無意識だと思いたい)、上手くできない。
うまく行かない部分を「言語化して」指摘され、「言語化できない」自分は「多分そうなんだと思う」と同調する他なく、それが事実となってしまってさらに怒られる。
悪循環が続く。
抜け出せない。
怒られたくない。
ネタを書きたい、漫才をやりたい。やりたいという気持ちは事実なので、「やれますか?」とかそういう質問をされると「やれる」「できる」「やってみる」「書いてくる」等々の前向きな言葉を返してしまう。けれど、結局気持ちが追い付いていなくてできない、結果的に嘘になってしまう。
……おおよそ村田さん視点ではこんな感じじゃなかろうか。実際はわかんないけど。
ひたすらに残念だった。
確かにあの時2択を迫ったのは、あの日自分を解放してくれと願っていたのは、間違いなく阪田さんの方だったはずなのに。
でもそれも実は違うようだと言うのがだんだんわかってくるのもなんなんだ、と思う。
最初っから村田さんが悪い、村田さんのこんなところが悪いとバカほど悪い部分を挙げ、インタビュアー兼の作家にそれを聞かせ、別の芸人たちにもあれこれ村田さんの文句を言い!
そこまでやっといて、彼は、阪田ベーカリーは、#4の最後の最後で「再結成」という言葉を言うのだ。
ぶっちゃけ、呆れた。
あの時2択を迫るのは早いと、さんざんひつじねいりに突っ込まれ、恐らく#3の時点ですらそれに気付けず、まだ自分達に未来があると思っている。
自分を引き留めたのは村田さんなんだから、自分に決定権がある!と思っている。
しかも#4前半でその当の村田本人から「解散したい」と直接はっきりと告げられているのにも関わらず、自分は村田さんと漫才ができる可能性があると思い込んでいる。
愚すぎるでしょうよ、そりゃあさあ。
だからこの一連のインタビューで救われる要素があるとすれば、他芸人と村田さん本人の意見が合致していたことだ。
ひつじねいりも、ストレッチーズも、或いはその他この一連の動画に登場した芸人たちも、誰しもが、「ある程度は阪田も折れるべき」と一度は指摘している。そして、「阪田が村田を褒めてあげるべき」と告げていて、村田さん自身も「褒められたい」「ずっと褒めといて欲しい」と言っている(※少なくとも、村田さんのパートは隠し撮りなので本心でしかないだろう)。
そこが一致していたことにもうちょっと早く気付けていたなら、違ったかもしれない。
それと、本当に何度も色んな人が突っ込んでいると思うが、作家の笑い声が大変不愉快な笑い声のトーンで、『とっても真面目なドキュメンタリー』を録っているトーンではおおよそないのだ。
これがラジオの裏話とかなら許容できたけれど、漫才師の運命がかかったドキュメンタリーと銘打っている以上、ある程度シビアな映像も録ってなきゃいけないし、見る側の負担が増えすぎないように努力すべきではないだろうか。
なんにしても、赤もみじはこのYouTubeが公開されたことによって本当に終わってしまった。
両翼をもがれた。
これの最終章はライブらしい。
配信ライブ。
とても評価が高いようだ。
だからわたしは、それを見ないことにした。
少なくとも、芸人の人生を軽んじて取り扱っているようなドキュメンタリーに関わる人達のライブなんて見たくない。
申し訳ないけど。
そんな感じです。
松村さんも言ってたけど。
「今日は天気もいいし、コーヒーも旨いし、最高の日っすね」
くらいの感覚で一回待ってみたらよかったのかもしれない。
コーヒーならパンと一緒に口にしたいし。
もしかしたらそのくらいの方が、心にゆとりがあって、調子づける環境になったかもしれない。
今はただ彼らの未来に幸多きことを望むだけです。
追伸
初稿をものすごく精査したのに、ひつじねいりの松村さんのお名前を間違えていました。申し訳ありません。そしてコメントにてお教えいただきありがとうございました。すぐ直しました。
この場をお借りして、コメントいただいた泰様、ならびにひつじねいり松村様にはお詫び申し上げます。
時に人は間違える。
恥ずかしいですが。これが頭と終わりで結び付いてどうすんだ。